社長ブログ
ゴムスポンジ屋に生まれて
昭和39年神戸長田の地にゴムスポンジ職人の子として生を受け、翌年父親はなけなしのお金をはたいて独立、ある時は分出しをする母親の背におわれ、またある時は事務所のソファーでぐっすりと眠り、たっぷりとゴムの匂いを嗅ぎながら幼少期を過ごしました。
小学校に上がると年末の大掃除を手伝い、事務所に落ちていた小銭をおこずかい代わりに貰ったのを覚えています。 父親が帰るのを待ち侘びて眠ってしまう日々。また起きている時に帰って来た時は、急いで押入れに隠れて父親が探し出してくれるのを楽しみにしていました。 本当に幸せな日々でした。
当時のゴム会社の環境、特に独立したてのゴムスポンジ会社の環境は酷かったのでしょう、父親は息も出来なくなる程腫れ上がった鼻腔を耳鼻科でドリルのような物で削られたとよく言っていました。 泣き言は一切言わない父でしたが、これは痛かったと私が大きくなってからも言っていたところをみると、よほどの痛さだったのだと思います。 今考えれば寒い話ですが、昭和40年代と言えばそんな時代だったのだと思います。
そんな40年代を世間でよくある神童と言われて育ち、中学に入って見事に不良の道へ、高校で縁あってラグビーに没頭し、大学も“楽美”学部に入学、卒業しても飽き足らず海外の大学で余分に2年プレーして、心機一転、大学院へ“勉強”の為に入学、そして卒業、父親が入社を心待ちにしていると聞いて日本に帰国、宮原ゴムに入社、はい、これでゴムスポンジ屋の一丁上がりです。
拙い文章をここまでお読み頂きありがとうございます。これからも少しずつになりますが、ゴムスポンジに関する事を主体に綴って行きたいと思います。 お付き合い頂ければ幸いです。
宮原 良信